小さな本を作る愉しみ

田中淑恵



 もしも自分だけの本が持てたなら、と思う人は多いだろう。

 私の場合、それは出版ということではなく 、本という存在そのものをまるごと自分で作ってしまいたいという欲求であって、紙工作の延長のようなものだった。

 好きな本は、いつも手元に置いて何度も開いて見たいものだが、ポケットに入るような小さな本ならそれも可能だと思った。

 詩を読みはじめた中学生の頃のことである。そうして出来上がったハイネ詩集のダイジェスト版がすべてのはじまりだった。

 時を経て、趣味の本作りよりも遅くはじめたブックデザインが本職になった。趣味と仕事は、手法としては対極にありながら、仕事で得た知識や手元にある紙のサンプルは、そのまま本作りに生かされている。

 自分自身の創作か気に入った物語をテキストに、まず文字を打って、大きさと行間と配置を決めて本文を作る。次に紙、革、布などで微妙な色合わせをしながら表紙を作り、本文を貼り合わせて、さらにそれを入れる函を作る。紙や布の色や手触りがどうしてもしっくりしなければ、納得のいくまで変更し、製本の仕上がりがいまひとつなら、潔く作り直す。あらゆる部分に細心の目配りをして、たった一册をこころゆくまで装う時間は、降りかかる雑念を忘れてしまうほどの、しみじみとした至福のひとときなのである。

 はじめは大きな本の単なるミニチュア作りに過ぎなかったが、最初の個展の時のこと、さまざまなアイディアが限りなく空から降ってくるかのようにインスピレーションが湧き起こり、描き留めたたくさんのラフスケッチをもとに、本の常識からはややはずれた、しかし、見ても作っても楽しいおもちゃ箱のような本がいくつも生まれることになったのである。

 そして、個展の開催のたびごとにミューズがやってくる約束のように、それはある期間止むことなく降りつづくのだった。

 現実に見た夢幻の光景、次々と舞い降りる雪華の結晶のどれひとつとして同じもののない美しさに感嘆した日のことを重ねあわせて、尽きることのないインスピレーションが与えられた日のことを、今もあざやかに思い起こす。

 具体的に言えば、六角形や木の葉やハンドバッグの形などの変形本、表紙にもう一冊の小さな本が付いている子持ち本、二册がひとつの背でつながった姉妹本など。紙や布以外の素材では、革なら牛、山羊、蛇、蜥蜴なども使う。ガラスにクローバーをはさんだり、木の板に蝶番をつけたもの、シルバーの彫金の函もある。和風の函の留め具には、ピアスの片方や待ち針などを利用している。

 本文は文字だけでなく、外国のきれいな切手を使えば、小さな画集のような趣きになるし、薔薇や馬など、テーマ別に切り抜いた写真を貼れば、オリジナルのコレクションブックが出来上がる。  本作りの基本コンセプトは、色や形がきれいで見て楽しく、読んで面白いこと。原則として一部限定で、気に入った本以外は作らないこと。したがって、内容は知る人ぞ知るマイナーなものがほとんどである。変わった構造の本は、奇を衒うことなく、内容的な必然性と新鮮な驚きがあるもの。そして最後に決して売らないことである。

 内容は好みを反映して、時折足を向ける京都にゆかりのものが多い。新古今時代の恋歌数首を毛筆でしたため、要の部分一ケ所だけを綴じた扇形の本、『源氏物語』の「宇治十帖」を主題に、絵巻を配した各頁色変わりで少しずつ画面の広くなっていく絵本、後鳥羽院の女官だった宮内卿の歌集など、優美風雅な本を仕立てるには、王朝の物語や歌はうってつけのテキストといえよう。

 これからのラインナップは、構造的には、カーテンが開いてタイトルの現れる仕掛け本や、函がオルゴールの形でその中に本体の入っている本など。テキストは、ゴーチェの『水辺の楼』、プーシキンの『バフチサライの泉』サッカレイの『ばらとゆびわ』、モームの『九月姫とウグイス』、結城信一の『落葉の創作』、伊藤海彦の『雲についての断章』など、ずっと昔からひそかに愛し、多くはもう読めないものであり、ささやかな復活を願う思いの込められた本たちなのである。

(産経新聞関西版 2002/8/5夕刊より) 

■参考リンク集

美術団体・アートフォリオ/田中淑恵オンラインギャラリー
「夢の豆本」(豆本の動画が見られます)
http://www.artfolio.org/mamehon/

2002/9/7

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